2022-09-01
中澤 「姿勢保持」のシステムは、地球の重力=1Gの環境下に完全に適応しているんです。だから普段、体に重力がかかっていることは忘れていますよね?
辻本 たしかに忘れてます。そうか、忘れていられるのは、私たちの脳や体が1Gに適応しているからなんですね。
中澤 無重力空間に行くと、どれだけ地上で1Gにフィットしたシステムが働いてくれていたか分かるんですよ。私の感覚が劇的に変わった実験があって——パラボリックフライトと言うんですが——海上で飛行機に乗って、それを斜め45度にバーンと打ち上げるんですね[図2]。打ち上げてエンジンを途中で切る。そうすると慣性でホームランの打球みたいに放物線を描いて進むんですが、打ち出されて頂点に達し落ちていく途中までは無重力になる。 そのなかで立ち続けるとどうなるかについての実験をやったんですよ。
辻本 おお。
中澤 45度でグワーッと打ち上がっているときには、逆に体重が二倍とかになる。自分をもうひとり背負っているのと同じになるのでふんばるしかない。これは随意制御です。意識的にふんばって立位を保つ。 すると、あるところで突然重力がゼロになる。そのとき私のなかでなにが起きたかというと……ひっくりかえった感じになった。体がさかさまになって、コウモリのように天井からぶらさがっているように感じたんです。そういう一種の幻覚、イリュージョンのような感覚を味わいました。
辻本 え、それは、体がさかさになったかのような解釈を脳がしたということですか?
中澤 そうです。1G下にいたら、下に引っぱられていることを意識していない。それは重さの情報を無意識に脳が処理してくれているからなんですね。その情報がいきなりゼロになったとき、脳がさかさだと解釈した。
辻本 面白いです。確認したいのですが、僕は体重が60キログラムなんです。地球の表面では、当たり前ですけど、この60キログラムがある状態で過ごしている。普段は意識しないけれど、腕を上げるときに、ほんとうは重さのある腕を筋肉で引っぱりあげている。そういう情報が、いきなりゼロになって、脳がわけわからなくなったということですよね。
中澤 そういうことですね。(立ち上がる)こうやって立つと——足の裏とか関節のあらゆるところにセンサーがありますから——それらにかかる重さなどの情報が入ってくる。それらの情報を統合・処理して筋肉につたえることで、立位姿勢が維持されている。突然0G環境になると、情報処理のしかたがまるで変わってしまうわけです。
辻本 静止していても、常に微調整してくれているんですね。
中澤 そういうことです。実はものすごく巧妙で——たとえば目の前の景色を見ているとしますよね。この視覚情報も無意識に利用して、立つ姿勢が維持できている。 実験的に、この景色を顔にゆっくり近づけると、姿勢はうしろに傾くんです。本当は景色のほうが顔に近づいてきているんだけど、それを体が「前に傾いた」と判断するんですね。その働きに、自分自身は全然気づいていない。
辻本 それで思い出したのですが、立ち上がって「床にバタンと倒れたい」とおもって実行しても、足が出てしまって成功しないですよね。これって、僕の中に「もうひとりの自分」がいるような感じがしたんです。
中澤 なるほどね。歩いているときにつまずいたら自動的に立て直そうとしますよね。そういう防御系のシステムがいろいろあるというのも分かっています。歩いているときのつまづきに対する防御反応は「スタンブリング・コレクティブ・リアクション」と呼ばれています。これは完全に無意識に働いている反応なので、自分の中にそういうことをやる人が「別にいる」っていうふうに考えてもいいかもしれない。
辻本 倒れたいとおもうのは人間の意識ですよね。それは「人間が生まれてからできた機能」で、それが成功させようとする。でもそこで、自分のなかの「動物のころからある機能」が出てきてせめぎあう。そんなふうに感じたんです。
中澤 いや、その通りだとおもう。
辻本 これは、「自由ってなんだろう」とおもった話でもあって——でも、無意識に防御してくれる機能があるからこそ、逆に自由でもあるというか……。歩くたびにこけてたり、意識しないと姿勢が維持できなかったら不自由ですもんね。
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