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ジャイアンの弱さの強さ、その環流

2023-03-21

辻本達也

 『ドラえもん のび太と空の理想郷』を観た。

 のび太は、ドラえもんといつもの3人と、空に浮遊する理想郷=パラダピアにたどり着く。のび太は自分のダメ人間ぶりに悩んでおり、パラダピアで過ごすだけで「パーフェクトな人間に近づける」と言われよろこぶ。

 スネ夫やジャイアンは、次第に、のび太のことをからかわなくなり、むしろ気遣うような言動が増えていく。静香ちゃんも、頑固な部分を失い、物分かりが良くなっていく。

 パーフェクトとは何か——これは、あるタイプの人たちが使う「スペックが高い」という言葉と対応するだろう。ここには、実は、前提されている指標がある。その指標を伸ばすことが、パーフェクト(=高スペ)になることだ。先生に指されて馬鹿な答えをしてしまう、その馬鹿さがもつ面白さ、笑える感じは、その指標リストに入っていない。強がっている嫌な上司が、裏で部下に悪口を言われる。その話題性もそこには入らないだろう。

 漫画のキャラクターは、欠点が強調されている。それでいて、ある特定の場面で、良いところを見せる。

 僕はもっとキャラクターのようになったほうが良い。そう思える作品だった。ジャイアンはいじわるをするし、スネ夫は嫌味を言う。それはまあダメなことなのだが、しかし、そのダメさは滑稽だ。

 ドラえもんは先週末で、昨日、とある講談を観た。観ていて、これはパフォーマンスとして「良くない」と思った。でも、その「良くない」は、自分のなかのどんな指標のなかでパラメータが低いのか。では、その「低さ」は、逆に何をその人物にもたらしているだろう。とたんに、面白くなった。

 いま、机の上に皿があり、その上に食べ終わった魚の骨がある。

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