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街の景色が変わるなかに

2023-02-23

辻本達也

 隣の家が取り壊しになるらしい。

 この家に越してきた初日、庭でパートナーとぶらぶらしていた。「あそこのスーパー行った?」と声がした。お婆ちゃんが窓の向こうからこちらを見ていた。また、「あそこのスーパー行った?」と聞かれた。僕らは、挨拶もまだだったので恐縮しつつ、「行きました。お肉が安くて助かります。」と言った。お婆ちゃんは、「そうなのよ。団地が近くにあるから、食品の回転率がいいみたいで、それで安いのよ。」と教えてくれた。そしてまた、「あそこのスーパー行った?」と言った。お婆ちゃんは、すこし、ボケていたのだと思う。

 でも、会うたびに柔らかく声をかけてくれて、庭で白菜を干していて、僕は何度かお婆ちゃんと数分話をした。とは言っても、どんな話題だったのか思い出すことはできない。

 そんな隣のお婆ちゃんの家が取り壊しになる。老人ホームに入るのか、親戚の家に住むことになったのか、わからない。

 しかしとにかくその家は取り壊しになり、もしも、塀まで含めて全てが平らになるのだとしたら、僕らの家のリビングと寝室は(窓ガラスが透明だから)大通りから丸見えになる。半年以内に取り壊しだということなのだけど、丸見えになったらどうしたらいいのだろう。もちろんカーテンはあるが、カーテンが少しでも開いていれば、道からまるまま見える。それに、もしも、そこにアパートなんかが建てば、日光はまるで入らなくなる。

 ただ、なんというか、そのことでネガティブになっているというよりは、この家に越してから家のことで大小様々な問題があったので「まあ色々あるよなこれくらいのことはあるか」と思えるような精神の弾力性をいつのまにか獲得していたようだ。なので、まあ、大丈夫。

 僕の人生に、昼のワイドショー的な隣家問題がやってきた。縁遠いものだと、勝手に思っていた。

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